ろばの日記

平凡主婦日記

私の育児苦労話。子供が発達障害かもしれない編。

こんばんは。昨日と今日はあまり暑くなかったですね。急に秋が来たのかと思って喜んだのも束の間、台風が去ったらまた猛暑日に戻りそうな雰囲気です(T_T)

私いまテレビで日体大の「集団行動」がスイスに遠征した時の様子をテレビで観ながらこれを書いているのですが、みてたら感動して泣けてきました。何でしょうかね?30代半ばくらいからものすごい涙もろくなって、何を見ても何かを感じてしまってすぐに泣くようになりました。40代になってからはもっとヒドイです。すぐ泣きます。マツコ・デラックスも前に同じようなこと言ってましたけどね。 

ちなみに私は、私の両親がテレビとか映画を観て感動して泣いているところを子供の頃から今まで一度も見たことがありません。わたしの親は二人とも情緒性に欠けるんですよ。だから私とは昔から相性が悪くて共通の趣味を持ったこともないし、同じ話題で盛り上がったことも一度もありません。喋っていても楽しいことが全くありません悲しいくらいに。常に上から目線でモノを言われます。昔から私が何か言うと、まず否定してきますしね。両親共に決して子供に対して愛情がないわけではないのでしょうけど、愛情表現が十分でなかったのは事実です。全然足りませんでした。ついでに褒められた記憶もほぼ無いです。愛情は、態度や言葉に出さないと無意味です。心の中で思っているだけでは相手には伝わりません。

 

このことを私は子供の頃からずっと今まで引きずっているので、出産後、自分の両親の残念な育児を反面教師にしようと決めました。自分の子供には、私が親にしてもらいたかったけどやってもらえなかった事を積極的にやっていくことにしたのです。

「好きだ」と思ったら好きだと子供に言い、「可愛くって仕方がない」と思えばすぐさま抱っこして子供に伝えました。二歳くらいまでは大げさでなく、ずっと抱っこばかりしていた記憶がありますけど(笑)。私にしかなつかない人見知りな子だったので本当に大変でした。おかげで腰を痛めてギックリ腰とか坐骨神経痛とか何度も経験しました。整形外科に通っていた時期も・・・苦笑

 

楽しい時は子供と一緒に笑って一緒に遊び、小学校で嫌なことがあって家で泣いていた時には私も一緒になって泣きました。幼稚園時代は本当に色々あったので、母子共に泣いてばかりの辛い日々だった記憶しかありません。あのころは本当につらかった。暗黒時代です。

うちの息子、ちょっと発達の仕方が独特だったんですよ。今では普通に発達障害という言葉が世間で使われるようになってきて情報も溢れていますけど、14、15年前はまだそういう時代ではなかったので、私も息子もとにかく必死でした。

2歳~4歳くらいまでは療育学校に通ったりとか専門医のところに連れて行ったりとか、自分で出来る限りのことは全てやりました。夫は全く当てにならないので全て自分で決めて自分で勝手に動きました。我が子の発達について、当時の私はとにかく専門家の意見を聞かないことには不安で潰れそうだったのです。こういう時、近所のママ仲間に相談するのは無意味でした。みんな育児で悩んでいるのは同じだけど、一般的な育児と発達障害が疑われる子供の育児とは悩みの種類が全く違うので。子供の性格もそもそも全然違うから、他人の発達と比べたって何の参考にもなりませんしね。

一時期私は自分の育て方が悪いのだと、自分で自分を責めては深く悩んでいたのですが、県内では有名な発達専門医の先生が、「この子は発達障害と個性との境界線上にいるけど、それはお母さんの育て方のせいではないです。」とハッキリ言って下さり、それを聞いてホッとしたのと同時に診察室で大泣きしたのを覚えています。その後は作業療法士による感覚統合訓練にも通いました。幼稚園と並行していたのでホント大変でした・・・でも、やるだけのことはやったから悔いは全くありません。やはり専門家の意見を聞くのは大事です。

そのころ、発達障害についてはいろいろ本を買って読みあさりました。うちの子の場合は「境界線上」とのことなので診断は何もつかなかったのですが、本を読んでいると、どうやら芸術家タイプである、ということが後々判明しました。 息子はとにかく独りで出来る作業が好きなのです。4、5歳になると、一日中家に居てずっと絵を描いたり絵本や漫画を読んでいるようになりました。集団生活が苦手だから、幼稚園は苦痛でしかなかったようでした。生まれてからずっと、近所の同年代の子供と遊ぶことは一切ありませんでした。無理やり公園へ連れていくのですが、いつも私と二人で遊んでいました。今思えば、あの頃の私は嫌がる息子を無理やり友人の家に連れて行ったりして近所の子供と交流させようとしていました。間違った育児をしていました。(いま思えば)

 

本人によると、幼稚園よりは小学校の方がマシで、小学校よりは中学校の方がマシなのだそうです。だんだん勉強は難しくなっていくのですが、息子にとっては、他人とドッジボールをしたりクラスで大縄とびをしたり鬼ごっこをしたりする方が、教室で勉強するよりもずっとずっと苦痛なのだそうです。ドッジボールの何が楽しいのか全くわからない、何で皆で集まって遊ぶのか理解できないし嫌で仕方がないと言っていました。小学校時代はクラスの雰囲気が特にそういう傾向が強かったので、息子は毎日が憂鬱だったらしく、低学年の時は家に帰ってきてからよく泣いていました。朝から「学校へいきたくない」と泣くこともしばしばでした。4年生くらいまで、私は毎日息子に付き添って通学路を歩きました。それで息子が安心するなら、全然苦痛ではありませんでした。 「10歳の壁」という教育用語があるらしいのですが、うちの子の場合は、10歳くらいから育児がだんだんラクになってきました。息子の得意分野が活かせる年齢にやっとなったのです。自信が徐々についてきて、自己肯定感も芽生えてくるのが傍でみていてもよくわかりました。学校へもそのころから一人で行けるようになりました。発達のしかたがやはり独特なのです。通常は10歳からどんどん扱いが難しくなるのだそうですが。 

 

あぁ疲れた。気付いたら2500文字を超えていました。どこからこんな育児苦労話になったんだろう? そうそう、発達障害の本を読んでいてハッとすることがいっぱいありました。自分のことが書いてあるように思える部分もあったのです。発達障害の傾向、これはハッキリ言って遺伝ですね。

となると、私の両親もたぶん発達障害の傾向があるのでしょう。真面目な人達なんですけどね。頑固で、融通とか応用はきかないかな。そして情緒性がない。

私と息子は感性と想像力が豊かで引っ込み思案な文系&芸術家タイプで、両親は計算が得意だけど国語が苦手で想像力の乏しい理数系タイプのようです。母親は、私が中学生の時に数学が全然出来ないのをいつもバカにしていましたから。因数分解ができなくて怒られたのを今でも覚えています。私だめなんですよ数学が。計算式をみるだけでメマイがします(笑)。 なんで理数系の両親から文系の私が生まれたのかは分かりませんけど。母方の祖父が小学校の教師だったので、そっち系のDNAが出てきたのですかね。

子供を育てていると、子供を通して自分が見えてくることがよくあります。こわいくらいに。 きりがないのでもう終わります。長いまとまりない駄文を最後まで読んで下さり、有難うございました。ではまた。